2014年12月28日
痛恨のR56の3km走行をして、なんとか四万十町窪川に着きました。
商店街を抜け、駅前を走って、四万十川沿いのK19を北上します。
K325を東に行って、土佐湾沿いを北上するルートも魅力的ですが中土佐町の北側、安和(あわ)でルートが繋がりません。
商店街を抜け、駅前を走って、四万十川沿いのK19を北上します。
K325を東に行って、土佐湾沿いを北上するルートも魅力的ですが中土佐町の北側、安和(あわ)でルートが繋がりません。
少し走って一斗俵沈下橋に寄り道。
現存する四万十川の沈下橋で最古のものです(昭和10年建設)。
川の中は砂利でなく岩があるので、夏に潜ると面白そうです。
上流域の沈下橋に寄ると、8年前の夏(もう8年前か!)長女と行った沈下橋サイクリングを思い出します。
もう少し走ると対岸に今年6月に出たMSCエンデューロのコースが見えます。
寒いのに物好きな人が1人走ってました。人のことは言えないけど。
四万十町は標高が少し高いので、四万十市より寒さがキツいです。
最上流の沈下橋、高樋沈下橋の手前で右折し、須崎へ東進します。
このK317は初めて走る道のような気がします。
結構標高を上げながら、峠を越えて津野町へ。
四万十市から数えて5つ目の市町村です。
山の北側で日陰になるせいか、まだ田んぼがガチガチに凍ってます。
またトイレに行きたくなったので、ちょうど現れた森の巣箱で休憩。
名前は聞いたことがありました(なかなか良いネーミングです)、廃校を利用した宿泊施設です。
温泉もある様です、声をかけようと思ったのですが無人だったので、トイレをお借りしました。
新荘川とR197を横断しK315で須崎へ入ります。
ケーズデンキの横を通ってK23へ。
横浪方面へ出れば、もう後は消化試合みたいなもんです。
土佐湾沿いを桂浜まで走り、浦戸大橋を渡って、
そのままK14を走れば高知空港です。
空港手前でまた道草。
懐かしいものが見えてしまったので。
戦時中に航空機を攻撃から守るために格納した掩体壕です。
学校と寮が高知空港の隣だったので、休みの日に高知へ行く時、この辺りをいつも自転車で通っていました。
当時は農機具入れとかにも使われてましたし、この5号掩体壕は住居として(!)使われていたそうです。
戦争遺産として保護が推進されており、現在はきれいに整地されて見学ができるようになっています。
中は結構広いのですが、どうやって住んでいたんでしょうか。
掩体壕ではないですが、防空壕(ドーム)の住居が小説「マイナスゼロ」に出てたのを思い出しました。
セローで登れそうだけど、バチあたりですね。
あとは空港の駐車場に行って、セローを積載し(だいぶ慣れた)。
ぶわっーと帰宅です。
行きにかかった時間は6時間ちょっと、
セローの走行距離は200kmでした。
おまけの2枚
この日見た変なもの。
あんまり長くないのに途中で段付きの橋(ガードレールも)
タヌキとか男性版は見たことあるけど、ついに出た工事用ポールスタンドの女性バージョン。
色もピンクでまつげ長いし、「工事中ご迷惑をおかけします」と伏し目がちなのがよいです。
家に1つ欲しいね、話しかけますよ。
現存する四万十川の沈下橋で最古のものです(昭和10年建設)。
川の中は砂利でなく岩があるので、夏に潜ると面白そうです。
上流域の沈下橋に寄ると、8年前の夏(もう8年前か!)長女と行った沈下橋サイクリングを思い出します。
2006/09/06
もう少し走ると対岸に今年6月に出たMSCエンデューロのコースが見えます。
寒いのに物好きな人が1人走ってました。人のことは言えないけど。
四万十町は標高が少し高いので、四万十市より寒さがキツいです。
最上流の沈下橋、高樋沈下橋の手前で右折し、須崎へ東進します。
このK317は初めて走る道のような気がします。
結構標高を上げながら、峠を越えて津野町へ。
四万十市から数えて5つ目の市町村です。
山の北側で日陰になるせいか、まだ田んぼがガチガチに凍ってます。
またトイレに行きたくなったので、ちょうど現れた森の巣箱で休憩。
名前は聞いたことがありました(なかなか良いネーミングです)、廃校を利用した宿泊施設です。
温泉もある様です、声をかけようと思ったのですが無人だったので、トイレをお借りしました。
新荘川とR197を横断しK315で須崎へ入ります。
ケーズデンキの横を通ってK23へ。
横浪方面へ出れば、もう後は消化試合みたいなもんです。
土佐湾沿いを桂浜まで走り、浦戸大橋を渡って、
そのままK14を走れば高知空港です。
空港手前でまた道草。
懐かしいものが見えてしまったので。
戦時中に航空機を攻撃から守るために格納した掩体壕です。
学校と寮が高知空港の隣だったので、休みの日に高知へ行く時、この辺りをいつも自転車で通っていました。
当時は農機具入れとかにも使われてましたし、この5号掩体壕は住居として(!)使われていたそうです。
戦争遺産として保護が推進されており、現在はきれいに整地されて見学ができるようになっています。
中は結構広いのですが、どうやって住んでいたんでしょうか。
掩体壕ではないですが、防空壕(ドーム)の住居が小説「マイナスゼロ」に出てたのを思い出しました。
セローで登れそうだけど、バチあたりですね。
あとは空港の駐車場に行って、セローを積載し(だいぶ慣れた)。
ぶわっーと帰宅です。
行きにかかった時間は6時間ちょっと、
セローの走行距離は200kmでした。
おまけの2枚
この日見た変なもの。
あんまり長くないのに途中で段付きの橋(ガードレールも)
タヌキとか男性版は見たことあるけど、ついに出た工事用ポールスタンドの女性バージョン。
色もピンクでまつげ長いし、「工事中ご迷惑をおかけします」と伏し目がちなのがよいです。
家に1つ欲しいね、話しかけますよ。
この記事へのコメント
なんとゆう行動力
キャサリンがムダ食い王なら
ぱぱさんは
ムダ走り王
でも、この企画は好き
次回の企画は
【アスファルトを走らずにモッタンの家まで行く】
期待してますから。
キャサリンがムダ食い王なら
ぱぱさんは
ムダ走り王
でも、この企画は好き
次回の企画は
【アスファルトを走らずにモッタンの家まで行く】
期待してますから。
Posted by キャサリン at 2014年12月29日 09:07
春夏秋もだけど、
空気がきりっとして、陽光がありがたい冬のツーリングも結構好きなんですわ。
ちゃんと着てればそんなには寒くないし。
北海道(行ったことないけど)のライダーに比べれば恵まれてるよ〜。
モッタン村はともかく、私はシティーボーイ(死語)なので家を出たら舗装。
国道を走らずになら行けますよ(今確認した)。
空気がきりっとして、陽光がありがたい冬のツーリングも結構好きなんですわ。
ちゃんと着てればそんなには寒くないし。
北海道(行ったことないけど)のライダーに比べれば恵まれてるよ〜。
モッタン村はともかく、私はシティーボーイ(死語)なので家を出たら舗装。
国道を走らずになら行けますよ(今確認した)。
Posted by うつなつぱぱ at 2014年12月29日 18:56